すみませーん……2週間以上さぼってしまいました……以後気をつけます。

今日はとてもとても充実した一日でした。
お休みだというのに、仕事でお付き合いをしている画家さんのグループ展を見に銀座の画廊へGo!
しかし、案内状を会社に忘れてきたため、道に迷う。そしてとうとう40分後、自力での画廊捜索を諦め、画家さんのご自宅に連絡を入れて、ご在宅だった奥様に画廊の名前を聞く。それを頼りに104で電話番号を調べてもらい、画廊に来ていた画家のO先生を呼びつけて、雨の降る中を迎えにきてもらうという暴挙に出る。ごめんなさい、先生……(泣)
その後O先生とは2時間ほど喫茶店で話し込み、色々と勉強をさせて頂きました。某公募団体の運営委員を務めるO先生は、優しく厳しく美術の事を教えて下さる、素敵な7●歳のおじいちゃま。これからも是非とも仲良くしてくださいませね。

第2ラウンド。
銀座の山野楽器でミュージカルのピアノスコアを購入後、遊上さんのお宅へ向かう。
今日は遊上さんのお母さんの四十九日法要の日でもありました。私は親族ではないので、法要には出ませんでしたが、やはりお線香の一本でもお供えさせて頂きたいと思い、法要の後かたづけで忙しい遊上さんのお宅へ、のこのこと上がり込んだ。お宅にはまだ親族の方がいらしたので、私は応接間(仏間になっている)には入らず、勝手知ったるリビングの方に向かう。……とそこに、遊上さん宅の猫ちゃん「チャコちゃん」が登場。無類の動物好きの私、思わずなでなですると、チャコちゃんもまんざらではない様子。それでは遠慮なく、とばかりに抱き上げて、更にウニウニと撫でくり続ける。
チャコちゃんはまるまるとしていて、実に抱き心地がよい。ああ、しあわせ……などどやっているうちに、遊上さんがお寿司だのお煮付けだのといろいろなお料理をわざわざリビングに持ってきて下さる。お気遣いしないでください、などと言いつつ、舌の根も乾かぬウチにちゃっかりと箸をつける私。亡くなられたお母さんも、私を見るといつも「ご飯は食べてるの?」と心配して下さって、必ず何かの食料を持たせてくれたり、そっと家に置いていってくれたりした。(遊上さん一家は、私の住んでいるアパートの大家さんなのだ)そんな事を思い出し、思わずほろりと来る。しばらくリビングの方で遊上さんや遊上さんの弟君(「おとうとぎみ」と読むなかれ)とあれこれと話してから、当初の目的であるお線香を上げさせてもらう為に、応接室の方へ移動する。私の分と旦那の分、二本のお線香を上げた後、再び遊上さんと談笑。
すると急に私の携帯が鳴る。着信を見れば、うちの会社の副社長(随分前の日記で、『谷●氏と飲み友達』宣言をしてた人として登場している)からだ。
なんだ?私また仕事でヤバイ間違いでもやらかしちゃったのか?!と慌てて出てみると、
「おねがーい、今日の『ビバヒル』(ビバリーヒルズ青春白書。アメリカのドラマです)の最終回、ビデオに録っといてー!」
……うーん、さすがは『姉御』と呼ばれる女傑、私などでは予想のつかない行動に出て下さるぜ。
ビデオの録画をするために、取り急ぎ遊上さんのお宅を後にする。

10時過ぎ、無事帰宅。副社長から頼まれたビデオ録画のタイマーセットをして人心地ついた所で部屋着に着替えリラックス。
時間もゆーっくりたーっぷりあるので、今はまっているゲーム「ガンパレドマーチ」(今更かい……)の続きをやろうとPS2を立ち上げる。そして今までのデータをロードしようとした所……なんとPS2がメモリーカードを認識してくれない!焦った私、何度もメモリーカードを抜き差しして、なんとか認識しようと躍起になる。二分後、ようやくの事でPS2がメモリーカードを認識してくれた。
が!!画面に表示されたのは
『ガンパレードマーチのデータがありません』
との非情なお言葉。
おかしい!ぜーったいこのメモリーカードにデータをセーブしたのに!!
取り敢えずメモリーカードの中身をチェックしてみようと思い、一度PS2をリセットし、メモリーカード内のデータを確認する画面を開く。
そして明かされる驚愕の真実。
『このメモリーカードは初期化されていません』
普通ならばメモリーカードの中に入っているセーブデータが表示されるハズの場面である。
このメッセージがでるということは……つまり……それは………………

セーブデータが消えてるーーーー????!!!!

いやあああああ!!折角あれほど苦労して全てのパラメーターSにしたのに!!戦況確認画面が真っ青になる(人類有利になっている)程に頑張って幻獣退治しまくってたのに!!舞とも運命の絆レベルにまでお近づきになってたのにー!!瀬戸口君ともブータとも運命の友レベルまで仲良くなってたのにー!!また最初からやり直せと言うの!?ひどい!!ひどすぎるううううぅ!!!!!(号泣)
…………ガンパレードマーチご存じない方には、全く分からない絶叫でしたね……すみません。
でも、本当にこれくらいショックだったんですよ……とほほほ
他にもウンジャマラミーのコンプリートデータや、ペルソナシリーズ(ペルソナ・罪・罰)のデータ全てが吹っ飛びました……プレイ時間にして300時間分位は軽くあったでしょう。

アディオス……私の青春の日々よ……(なんなんだそれは)

唯一の救いは、このメモリーカードにFFシリーズ(?・?・?)と聖剣伝説レジェンド・オブ・マナのセーブデータ(2周目)が入っていなかった事です。これまで消えてたら、私はどこかの工事現場からツルハシを奪ってきてPS2を跡形もなく粉砕した後、自分も後追いをしていたことでしょう。
それにしても……しばらく立ち直れそうもありません……
お星様のバカーーーー!!!

怖いよー!!!

2001年4月3日
地震です!!地震が起きました!!
私は地震が大の苦手で、本当に怖くてしょうがないんです……
震源付近の方々のご無事をお祈りしています。
今日は仕事で行った前橋で、「妖怪馬鹿」という本を購入。
これは小説家京極夏彦・妖怪研究家多田克己・同じく妖怪研究家村上健司三氏の、妖怪についての対談を収録した本なんですが……
これが、タイトルを裏切らないお馬鹿な本なんです。
元々京極夏彦さんの小説が好きな私は、京極さんが対談のテープ起こしをしているという、ただそれだけで購入しました。読み進めているうちに、じわじわと広がってくるおもしろさに打ち勝てず、自宅に戻る為に乗った高崎線のなかで、思わず「ニヤリ」と笑ってしまいました。
この本、京極さんの実体の一端を垣間見るには、ものすごく適した本だと思います。
なんていったって、中に添えられている挿し絵(というかマンガ)は、すべて京極さんが描いてるんですよ。ものすごく巧いです!!(まあ、それでメシを食っていたそうですから、下手だったら致命的ですけどね^^;)田川包水(でしたっけ?のらくろを描いていた人)からしりあがり寿まで、ありとあらゆるマンガ家の画風をパロったマンガの凄まじいことったらありません。
対談の内容も、真面目な妖怪論から下世話な話題まで、非常に多岐に渡っています。

さあ、みんなも「妖怪馬鹿」を読んで、「妖怪の鉄人」のまねをしてみませんか?
(……そんなのやだよ……T_T)
四月馬鹿の日ですね。
旦那と悪口の言い合いをしました。
「でもウソなんだよーん」
という合い言葉を免罪符に、けっこう色々言い合いました。
……これくらいの心の余裕がないと、夫婦生活なんて続かないもんなんですね、きっと。
最近きちんと夕飯を作っている。
旦那の帰りも早いし、私も終電10時前後には家に帰り着くことが出来ているからだ。

そして今日は祝日。
もちろん気合いをいれて料理を作る。
メニュー→肉じゃが。
     ショウガ焼き。
     ご飯。
どこが気合い入ってるんだとお思いの向きもございましょう。
でも、私の中で「肉じゃがを作る」ということは、立派に気合いが入っていることになるのです。
(つまり普段が気合い抜けすぎだってことですね)
なぜ気合いが入っているのか?
私の作る煮物は、煮汁を大量に作り、かなり薄い味付けにしてじっくりと煮込むことに意義があります。
つまり時間がかかるんです。
焦げ付かないように、味が均等に煮含まるように……
注意を向ける時間の長さ故に、気合いも入るってもんです。!!
このようにしてじっくりと煮込まれた肉じゃがは、大変おいしゅうございました。
特に人参はかなり良い線行ったと自負しております。

ああ……たまに気合い入れて料理すると、なんか文章が大げさになってしまっている。
本当はそんなに大したものじゃないんですよ、私の作る料理なんて……
すみません、ちょっと気が大きくなってました。
反省。

猫猫猫!!!

2001年3月19日 ペット
うちの会社で猫を飼うことになりました。
(うちの会社は副社長の自宅をかねているもので、実際に飼うのは副社長なんですが)
日本猫とノルウェージャンフォレストキャットのハーフです。
目の色はアッシュブルーです。
柄は白地のところどころに黒とグレーの縞模様です。
まだ片手で持ち上げられるほど小さいんです。

ああ、たまりません!!!

ようやくです

2001年3月18日
HPの方も更新作業終了いたしました。
ああ、アワーズ出てから3週間も経っちゃったよ。
ドン亀ペースだなあ……(泣)
よろしかったらおいで下さいませ。

リンク

すみませーん……

2001年3月17日
最近いろいろあって少々へこみ気味で、更新かけられませんでした。
ごめんなさい。

特に木曜日に捻挫したのが、最悪にへこみました。
電車降りるときに、後ろから押されてホームと電車の隙間に足を突っ込んで転び、敢えなく左足捻挫。
いくら捻挫癖があって、捻挫馴れしている私とはいえ、かなり痛かったです。(というか、今も痛い)
しかも、痛いのと「とにかくこの隙間から足を引き抜かないとドエラいことになる!」という焦りから、私を突き飛ばして行った中年男性(しかも酔っぱらい!)に対して、なんのアクションも起こせなかったのが辛い……というかムッチャ悔しい!!!
今も足にはシップがガッチリと巻いてあります。
こんな足を引きずって、一昨日は銀座、今日は蒲田や渋谷と仕事でかけずり回る日々。鬱血は酷くなる一方です。

会社の方へ一言。
いくら私が(社内の平均レベルに照らして)パソコン関係に詳しいからと言って、捻挫している人間にCD−RW購入のお使いを頼まないで下さい。
ちょっと泣きたくなりました。
旦那からのホワイトデーのプレゼント。

トライガンのDVD第3巻。

ありがとう!!心の底からありがとう!!

しかし、色気もへったくれもないねえ、ウチは……
しばらく更新ストップしちゃっててすみませんでした。
(旦那がパソコンを占有していたもので……)
旦那の実家のお葬式のネタも溜まっているのですが、それよりもどうしても書きたい事があるので、日付が飛んでしまうことを許して下さい。

私の10年来の大親友(というかお世話になりっぱなしの先輩)遊上さんのお母さんが亡くなられました。
以前から入院されていることは知っていたし、お見舞いにも行っていたし、病状の進行なども遊上さんから聞いていたので、昨日の朝出勤途中に携帯電話が鳴り、ディスプレイに遊上さんの名前が映し出されたとき『とうとう来てしまったか』と思いました。泣いたり、気丈そうに振る舞ったりする遊上さんに、出来るだけ早く仕事を切り上げてそちらに行くから……としか言えなかった自分が情けなかった。もっと色々と言うことがあるだろうと、自分に突っ込んでみたりしましたが、それでも何を言えばいいのかまったく思い浮かばない。本当に情けなかった。
その日はなんとか仕事を定時で切り上げて、もう一人の遊上さんの親友である睦月さんと待ち合わせをして、遊上さんの家についたのが夜の8時過ぎ。
遊上さんのお宅に向かう途中で、お母さんにあげるために購入した煙草を差し出したら、遊上さんの家族は本当に喜んでくれて。とにかく入ってくれと、お母さんがいる部屋に案内され、その顔の上に白い布が乗っているのが目に入った途端、恥ずかしながら泣けてきてしまいました。本当に辛いのはご家族の方なのに、私なんかが泣き出してしまって。そんな私を、「ありがとう」と言いながら抱きしめてくれた遊上さん。本当にごめんなさい。
お母さんには本当に色々とお世話になっていました。いつもあれこれと気を使ってくれて。私達夫婦のご飯の心配までしてくれて。旅行に行くとおみやげを買ってきてくれて。お母さんからもらったck1もまだ殆ど使っていないのに。なんのお返しも出来ないまま、お別れをすることになってしまいました。でも、お返しを……なんて思っているのをお母さんが知ったら、「そんな事を言うのは100年早いわよー」と怒られそうで。耳の奥に、笑いながらそう言うお母さんの声が聞こえてきて、私もちょっと笑いました。

明日は私の母と2人で、お通夜の受付を手伝います。寒くなりそうですが、頑張ろうと思います。
何よりも、遊上さんの側にいて上げたい。なんにもできないけれど、側にいて上げたい。
きっと遊上さんを知っている人は、みんなそう思っているはず。

明日はババシャツ2枚重ねで頑張ります。

静かにパニック。

2001年2月22日
朝、あまりにも頭痛が酷いので、これはもしや以前からぐいぐいと生えてきている親不知のせいではないかと睨み、会社から半休をもらって歯医者に行く。
レントゲンをとってアラびっくり!!
下顎の左右の親不知はパーフェクトに横向きに生えてきているではありませんか!
もともと私はものすごーく歯並びが悪い。原因は現代人らしい小さな顎に、昭和1桁生まれの人間並の立派な歯が生えてしまっているためらしい。どこの歯医者に行っても、「うーん、立派な歯だねえー。それにひきかえ……」といわれる始末。今回の横向き親不知も、未発達な顎のせいらしい。将来的には歯列矯正を考えろと、歯医者から宣告を受ける。トホホ……
とりあえず今日は、親不知の上に被さっている腫れた歯肉をレーザーメスで焼いて終わり。久々の口内麻酔で舌が痺れた。やっぱりキシロカイン(麻酔薬)はおいしくないねえ(涙)

ようやく家に戻ってきた所で、旦那の実家から電話が。
旦那の母方の祖母が亡くなったとの知らせ。
どうやら19日のドラえもんの話は、この騒動の布石だったらしい。
東京式のお葬式には幾度となく参列している私だが、東北式のお葬式はきっと勝手が違うだろうと判断、取り敢えず会社に休みを申請して、帰省の準備を始めた。
本人は結構落ち着いているつもりだったのだが、あとから思い返してみると、かなりパニック状態になっていたらしく、盛りの付いた猫のように落ち着き泣く動き回っては、あれこれと必要なモノを鞄に詰めて行く。葬式経験豊富な私は、しっかりと自分の喪服を持っている。(しかも洋服3着、着物1着)だが、旦那は喪服を持っていない。どこで買っていこうかと思い悩む。パニックの度合いはますます深まり、うろつきのスピードは更に加速の一途をたどる。
どーにかこーにか準備をつけ、いったん家に戻ってきた旦那と合流。急いで東京駅へと向かった。
そこから一路北へ。

仙台は寒かった。今日の東京の最高気温は19度だったというのに、仙台ではまだ息が白い。だが、2月という時期を鑑みると、こちらの方が正しいのではないかと思ったりもする。軽く腹ごしらえをし、旦那のご両親と合流して、旦那の実家へ帰る。
明日からは、目の回るような忙しい日々になるのだろう。私の直接の血縁という訳ではないが、初の孫嫁ということで、いろいろと可愛がってもらった義理の祖母が亡くなるのは、やはり少し寂しい。
出来る限りの事をして、後悔を残さないように頑張りたいと思う。

泣きました

2001年2月19日
旦那が先週のドラえもんスペシャルをビデオに録画していた。
内容は今までの傑作選と新しい映画の宣伝と……以前映画でやった、のび太のおばあちゃんお話。
でも、オープニングでおばあちゃんの顔を見た途端に涙がこぼれて、これ以上みられなくなってしまった。悲しさと後悔と懐かしさと感謝の入り交じった涙だった。
あまりにも素晴らしい作品なので、ここで内容を語ってしまうよりも、できれば作品そのものを見て欲しいのです。そして、この作品を見るといつも思いだす人がいます。それは私の叔母です。

私は既に5回、身内の不幸にあっていますが、その中でも1番私をかわいがってくれたという叔母の葬式は、私が2才の時だったので、まったく覚えていません。叔母と過ごした記憶すらも全くありません。なぜならば私が生まれたときには、叔母は重い病に侵されて、入院をしていたからです。
叔母は不思議な人で、叔母の言う通りに事業を行ったり、馬券を買ったりすると非常によく当たるという、直感に優れた人だったそうです。私が生まれる前も、妊娠中の私の母の顔がものすごくきつくなったので、親戚の誰もが生まれてくるのは男の子だと思っていた中、叔母だけは「絶対に女の子が生まれるから、女の子用の服を用意しておくのよ」と母に告げたそうです。
私が赤ちゃんのころ、雑誌の赤ちゃんモデルをしたことがありました。某ダイヤモンドメーカーの指輪の宣伝だったのですが、その中で私は男の子の役でした。グリーンのベビーウェアを着せられ、写真につけられたコピーのでは男の子の名前で呼ばれていました。けれども叔母は入院先でその雑誌を見て、一目で「うちの妹の娘だ!!」と気付き、看護婦さん達に誇らしげに「うちの姪なの」と見せてまわったそうです。まだ私の顔も見たことがなく、モデルをしたことも伝えていなかったのに。一時退院が許された時には、私の家の前まで車でやってきて両親に挨拶をし、私を一目見せようとする両親に向って、「こんな病気で衰えた身体をみせて、かわいい姪が怖がるといけないから」と、私の顔を見ないで帰っていたそうです。
叔母が亡くなった後も、不思議な事が起きました。2才を過ぎた私が、夜尿症になってしまい、両親がほとほと手を焼いていたとき、母の夢まくらに叔母が立ち、「この子がオネショをするのは、あんたがかまってやらないせいだ」と怒られたというのです。夢というのは、その人物の心の奥にある願望や後ろめたさが立ち現れるものなので、この夢も単なる偶然だ……とは思うのですが、私にしてみれば、叔母が天国から見守っていてくれるような、温かい気持ちにあるのです。

これらの話を聞いて以来、わたしは神頼みをしたいときには、神様や仏様ではなく、叔母にお願いをするようになりました。そうすると、心の中に強い一本の芯があるような気持ちになりました。いつでも私をささえていてくれる、心強い芯です。

のび太とおばあちゃんの話を見るたびに、こんな叔母のことを思いだし、そして、次は自分が誰かの芯にならなければ……と切実に思うのでした。
そんなことが自分にできるかどうか、わからないけれど。でも、少なくとも、そう思うことでいろいろな人に優しくなれたらいいな……今はそう願っています。

とりとめのない長い話でごめんなさい。
馬鹿みたいにボロボロ泣いてしまった自分に対して言い訳をしたかったのです、きっとね。
人に対して優しく出来ない、怠け者の自分に、喝を入れたかったんです。
あーもー、ほんとにごめんなさい。
スガシカオのライブに行って参りました!!
ライブはもうそれはそれはカッコイイものでした。
「黄金の月」とか聞けたし、最高ですー!!
でも……客席がものすごーく大人しかったので、どうも不思議な感じがしました……
今まで行っていたライブが、ほぼ全てコールだのハンドアクションだのがあるライブだったもので、ただ純粋に音楽やアーティストを堪能するという姿勢に、最初はちょっと驚きましたが、最後の方はかなり慣れてきて、それなりに踊ってみたりしました。
それにしてもかっこよかったなあ、シカオ。

うれしーなーっと。

2001年2月17日
明日はスガシカオのライブに行って来ます。
うーん楽しみ。
ライブなんて何年振りだろう。
最後に行ったのが、TMNのラストライブだったような気がするから……もう7年!?
時の経つのは早いものよのう……


こんな所でなんなのですが……
私のHPが仮オープンいたしました。
(というか、お友達のHPのリンク欄に追加をして頂いたのを機会に、ようやく一般公開したというのが真相。もう去年のうちから一応UPはしていたのです)
プロバイダーの都合上カウンターがクッキー対応にならなかったりだとか、色々不具合もありますが、よろしかったら一度遊びにいらしてください。
……文字ばかりのサイトですけれど……(泣)
リンク
買っちゃいました。
トライガンのDVD。
しかも6巻だけ。(23話が入っている巻ですがな)
いやー、DVDは画質がいいなー。
しかし、アニメのソフトを自分でお金出して買うの何年振りだろう……高校生以来だな、きっと。

他にもミュージカル「Annie get your gun」のブロードウェイニューキャスト版のCDなんかも買ってしまったり……
財布がどんどんうすーくなってゆく。

また肉!?

2001年2月13日 グルメ
今日は給料日。
会社で焼肉食べ放題ツアーを組み、さらにそこにうちの旦那も乱入して、計7人で2卓を占領。猛烈な勢いで食べ始める。
私のいた卓(男2人・女1人)での肉の量→
ヤングカルビ1人前
ゲタカルビ1人前
ハラミ8人前
上カルビ2人前
カルビ5人前
塩カルビ3人前
ユッケ6人前
サラダ3人前
ミノ1人前
シャーベット1人前
バニラアイス2人前
……食べ過ぎたっていうほど食べました。
しかし、同じ卓にいた旦那は、家に帰るなり一言、
「おなかすいた」
……人外魔境……やせの大食いの典型です。

狂乱の宴。

2001年2月12日
昨日〜今日は私と旦那と遊上さんと睦月さんで、狂乱のキムチチゲパーティーが行われました。
見る見るうちに減って行く鍋の中身。
沸き立つ湯気。
テンション全開の私たち……
裂けも入っていないのに、どうしてこんなにもりあがれるのだろう?

連休中日。

2001年2月11日
本日は遊上さんと睦月さんに会って、ウチで鍋をやる予定。
なぜかウチに人を招いて鍋をするときは、かならずキムチチゲ……
何故だろう……?

生まれて初めて……

2001年2月10日
……告白します。
私アキラは、今日生まれて初めてフグを食べました。
魚屋の孫として2●年生きてきて、なぜフグを食べなかったのか?
それは亡き祖母の遺言(大げさな……)にこうあったからです。
「フグは身が固くて普通に刺身にしたんじゃ食べられないから、あんなに薄くそぎ切りにするんだ。そんなに無理して食べなくてもいい魚なんだ」
……これまでこの言葉だけを頼りにして、フグを口にせずに生きて参りました。(まあ、単なる強がりなんですけどね)
そして今日。義理のお兄さまのおごりでフグのコースをご馳走になりました。

感想。
美味しかったです、素直に。

でも、フグちり鍋につかったアラについていた皮は、ちょっと苦手だったかもしれません。(お通しで出てきた皮の刺身は、コリコリしていて美味しかったです)

これであらかたの高級食材を一度は口にした事になります。(熊の手とかサルの脳味噌は別。言葉は悪いですが、あれはある種の薬膳向けゲテモノだと思っております)
最後に残ったのは……カラスミ。
あれはボラの卵巣でしたっけ?食べてみたいなあ……

怖い怖い怖いー

2001年2月3日
今日は会社で豆まきをしました。
……鬼役は決めず、ちゃんと社内の各所へ豆をまいてお清めした後は、もー単なる豆のぶつけ合い。
……社内は修羅の庭と化しました。
みんなお願いだから、来年からは顔を狙わないでね……(いや、多分相手の方は顔を狙って投げている訳じゃないんだろうけど……私は背が小さいもので、男の人同士の投げ合いに巻き込まれると、顔の高さジャストに豆が飛んでくるのですよ)

さて、嬉しいことに、今日は営業が上がりました!
しかも一気に2本も!!更にその契約者さんが、他のお客様を紹介してくださるとのこと!!
もーうれしさ爆発!!
月曜日にはもう1本契約の取れるアテがあるので、
このペースで行けばなんとか今月のノルマはクリアできそうです。(あくまでもこのペースでいければね……)
あー良かった。

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