昨日の夜、急に決まったお出かけ計画に則り、本日は旦那と共に、神奈川県鎌倉市の材木座海岸及び由比ヶ浜に行って参りました。

実は、私の母方の祖父の実家がこの材木座海岸沿いにあったり、両親の友人が逗子マリーナ付属のマンションに住んでいたこともあって、昔は良く遊びに来ていた所だったんですよ。
去年も会社の仕事のついでに遊びに行ったし。
(世間ではそれを「サボリ」という)

漁師さんの血を継いでいるせいか、私はどうも山や川よりも、海が好きなようだ。
海にいると、波打ち際で裸足でぼーっと立ったまま、何時間でも過ごせる。
もちろん泳ぐのも好きなのだが、遊泳可能な時期の海はどどめ色をしているので、あまり入りたくはない。となると、海で泳ぐ機会は少なくなる。
竹富島とかの澄み切った海でだったら、ゴーグルなしでも目を開けたまま泳ぐのに。
砂浜で貝殻を集めるのも大好きだし、浜辺に座ってノンビリ煙草を吸うのも好き。(もちろん、吸い殻は自分で回収。灰は一応自然界で分解されるが、フィルターはそうはいかないのだ。第一、浜辺に吸い殻が落ちているなんて、そんなの美しくないではないか)
 
 
でも。
母が言うには、昔はあの辺りの海岸でも、ゴーグルなしで目を開けて泳げるくらい、水が綺麗だったそうだ。
海に潜ると、目の前を石鯛が横切るような、そんな海だったそうだ。
あの浜から直接船を出して魚を捕って、それで生活が出来るほど、豊かな海だったそうだ。

今はそうは行かない。
冬だって、あの辺りの海は薄い緑色に濁っている。
浜は観光用に整備され、磯だまりもなくなり、漁の船を置いておくことも出来ない。
大体が、大勢の漁師が生活を支えていくことが出来るほどには、魚も貝も捕れないのだ。
葉山の方まで行けば漁港があるが、そこの漁師さんたちの生活を支えるだけで、きっとあの辺りの海の恵みは打ち止めだろう。

今の海の姿を悲しむ気持ちは私も同じだが、石鯛が泳いでいたような時代を経験した人にとっては、もしかしたら悲しい所の騒ぎではないのかもしれない。

だから皆さん。
海に入るのは、サンオイルや日焼け止めを洗い流してからにしようね〜。
ゴミは持ち帰ろうね〜。
あんまり波打ち際に近いところで花火とかしないでね〜。
家の排水溝に油を流したりしないでね〜。
こういう小さな気配りを実践するところから、考え方を見直していくことが出来る筈だから。

以上、余計なお世話でした。
 
 
さて、海でひとしきり遊んだあとは、一応観光でもするか……と、若宮大路を歩いて鶴岡八幡宮へ参拝しに行ってみた。
ちなみに旦那は歴史に全く興味なし。
逆に私は病気じゃないかと言うほどの歴史好き。
(学生時代も歴史と国語で評定平均を維持していたようなものだ)
だが、とりあえず旦那にも、訪れる所の歴史的重要性を伝えようなどと無駄な努力をしてみる。

「この若宮大路は頼朝が造った道でね……」
「ふーん」

「由比ヶ浜は、義経の首を洗ったっていう伝承がある浜でね……」
「ふーん」

「この近所には大塔宮が幽閉されていた石牢があってね……」
「ふーん」

「この辺りにたくさんある切り通しは、軍馬が通れるようにっていう理由で整備された道でね……」
「ふーん」

「鶴岡八幡宮では、静御前が『しずやしず しずのおだまきくりかえし〜』って言う有名な舞を舞った所でね……」
「ふーん」

旦那全く興味なし。
……ああ、悪かったよ、説明魔で。
どうもお邪魔さまでした(涙)
もちろん、こんなに立て続けに喋り続けたわけではないのだが。
興味のない人に対してちょっとしつこかったと、我ながら反省もしているが。

歴史を知ることは、文章を書く時にとってもいいネタを掴むことにも繋がると、私はそう思っている。
(ちなみに、旦那のお父さんも同意見だったりする)
もーちょっと興味持ってくれてもいいじゃん……(涙)
別に司馬遼太郎読めとか、池波正太郎読めとか言わないからさあ……
 
 
さてさて。
タイトルにも書きましたが、昨日予定していた料理はどうなったのかと申しますと……
旦那が家に帰り着くなりばったりと倒れて爆睡してしまったので、豪華な夕飯はお流れ。
1.昨日仕込んでおいた煮物。
2.昨日のパスタで使い残した茄子を使った揚げ茄子。
(出汁つゆと下ろし生姜と鰹節をかけたもの)
3.揚げ茄子に使った油を利用した、揚げウインナー
以上の3品と、白米での夕飯と相成りました。
しかも食べたのは12時過ぎ。
……とほほ。

それと、昨日作っている時にはすっかり忘れていたのだが、煮物に椎茸を入れ忘れた。
道理で味がいつもと違うと思ったのだよ。
折角仙台のお義母さんから、地元で作ったどんこを貰っていたのに。
うーん、無念なり。
 
 
 
 
<ちょっと余談>
うちの父は、材木座海岸で鎌鼬にスネをぱっくり切られた経験を持つ。
ジーンズは何ともなかったのに、スネだけが切れていたそうだ。
やはり風の巻く所は、鎌鼬が発生しやすいのだろうか。
それとも、鎌倉という、様々な戦乱を経た土地だからこその怪異なのだろうか。
(いやいや、鎌鼬の本場は上州のはずだぞ)

ま、どちらにしても、興味深い事例ではありますな。

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