一昨日のことなんだけれど。
仕事中に側を通りすがった若いご夫婦。まだ二人とも10代かもってぐらい若くて、ダンナさんが子供をだっこしてて、その3歩ぐらい後ろから奥さんが一心不乱に携帯メール打ちながらついてきて。
その会話一つない『家族』の様子を見て、もう40才に近いうちの先輩男性がひとこと。
 
「ああいうの信じられないよな、異常だよ」
「家族で一緒にいるのにさ。ダンナさんに子供だっこさせといて、自分はメールに夢中なんておかしいよ」
 
声の大きさこそ小さかったものの、その言葉の隅々から発される嫌悪感と否定に私はすごくびっくりしてしまって。
「あーでも最近はああいう人少なくないですよねー」
驚きつつも相槌うったら、更なる台詞が返ってきた。
 
「そういうもんなの?でもあれは人間関係として異常だよね?アキラさんはそう思わない?」
 
この台詞を聞いた途端、なんというか、こう、脳味噌の中で無意識に『あ、あたしこの人駄目だ……』という壁が出来てしまって。いわゆる『職場の人間関係』を崩すのはいやだったのだけど、なんとなくその先輩への反発からやんわりと反論してしまった。
「まあ、あんまりいいもんだとは思わないですけどねー。でもうちの夫婦も、同じ部屋にいてかたっぽがゲームもう一方がパソコンつかってて全然会話ないってときもありますし、人のことはいえませんから(笑)」
冗談めかして言った私の言葉に、先輩はなおも食いついて。
 
「でもやっぱりおかしいよね、そういう状況って?違う?」
 
私はもはやその人の言葉についていく気力すら失って、曖昧に相槌を打って会話をうち切ってしまった。そんな私の耳に、最後に聞こえてきた一言。
 
「異常だよ」
 
それはもちろん、私を指して言った台詞ではないんだと思うけれど。でもある意味では巡り巡って私を刺す言葉でもあって。元々あまり得意ではない先輩ではあったのだけれど、この一言でもう完全に私の心はこの先輩から離れた。
 
何かを『異常』だと断定するのは、『正常』との明確な差異があればこそであって。自分の考えが正しいと思っていなければ、その考えと反する事を『異常』とは言えないと思う。
私の遠回しな反論をぴしゃりとたたき落とすようにはねつけた返事も、自分の考えの正しさを信じているからこそ、あんなに強い力を持っていたんだと思う。
 
私のように、自分に自信がない人間からしてみれば、そこまで強固に自分の考えを正しいと思い続けられる人というのはある種の驚異ですらある。もちろん、人間なんて誰でも主観に則る形でしか判断できないものだから、誰にだって『自分はこう思う』っていう物があるけれど。私にだってそれはあるけれど。
でも、だからといって、自分の価値基準から外れた形態を『異常』と切って捨てる様を目の前にするのは驚くし、怖い。
自分の考えに反する物を認めない頑迷さで凝り固まった人間の心は、やっぱり怖い。
 
まずもって『異常』という言葉その物が、私には酷く怖い。無機的な物の状態や状況を指す時ならばどうということもない言葉だけれど、それがひとたび人間を指すということになると、もうどうしようもなく怖い。『異常』という言葉の持つ力はとても強いから。
 
ただ、こういう文章を書いている私自身、先入観と主観に満ちあふれた人間であるわけだから。『異常』という言葉を怖いと思ったり、その先輩を嫌って反発したりするのも、私の主観と先入観によるものでしかなくて。
その点ではあの先輩と何も変わらない訳で。
 
 
 
私はこの先この先輩と一緒に仕事をする度に、この事を思い出して落ち込んだり腹を立てたりするんだろうなと思うと、なんだかものすごく切ない。

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