転けた。

2001年9月13日
本日、夕方に来客。
ちなみにそのとき、遊上さんと電話中。
電話をつないだままドアに向かう。
遊上さんと、お客様を待たせてはいかん……とあせったばかりに、ズボンの裾を踏み、盛大に転ける。

ダシンッ!!……と鈍い音が。

体の右側から床に突っ込み、右腰骨と右腕の肘下三寸を強打。
しかも腕は麻製のカーペットですりむけた模様。
ヒリヒリヒリヒリ。
い……痛い。
 
 
 
私は、そんなに度々転ける方ではないのだが、その分一度転んだ時の被害が大きい。
以前転んだ時はどんだったっけ……と記憶を遡ると、4年前の惨事に思い至った。

それは、1月も終わりに差し掛かった頃の原宿。
結婚を控えて仙台に引っ越すことになった私の送別会を、友人一同が開いてくれた時の事だ。
明治通り沿いのレストランでの1次会を終え、2次会の行われるカラオケ店へと移動していたとき。

私は何故か幹事を務めることの方が多かったので、しかもその方が性に合っていたので、なにもせずにもてなされることに一抹の申し訳なさを感じていた。そのせいか、どうも移動中も気がせいており、本物の幹事が店の中に入って部屋を取っている間も、何人かのグループに別れながら三々五々カラオケ店に集まってくる一同が店を間違えないように、店の前で目印の役割を果たしていた。
……今考えればはた迷惑な主賓である。

また一組の参加者が店へと近付いてきた。
こっちこっち……と手を振りながら彼女たちに近付いていく私。
彼女たちが来たことで、全員がカラオケ店へ無事移動を完了させたことになる。
よしよしと思いながら、カラオケ店の中にいる幹事に全員が揃ったことを告げようと、走って店の前へ戻っていったのだった。

ああ、忘れもしない。
あの日はちょっとだけ雨が降ったのだ。
路面が濡れ、歩道のアスファルトは黒光りしていたのだ。
しかも、私の履いていた靴の底の溝は、ないも同然なくらいに浅かったのだ。
その上靴底の材質は硬化ゴムだったのだ。

ここまでお膳立てがそろっている中で、店の目の前で急に進行方向を切り替えたら……転ぶに決まっているではないですか。

転びましたとも……ええ、転びましたとも。
このときもやはり体の右側からモロにアスファルトに叩きつけられましたとも。
ゴガッ!!……と、鈍く激しい音がしましたとも。

しかも最悪な事に、私はその時丁度右手に鞄を持っていて、その鞄の持ち手の所はとーっても固い材質で出来ていた。
そんな持ち手と、地面のアスファルトの間に。
私の右小指が挟まれた。

心配して声をかける友人たちに言葉を返すことができなかったほどの痛みでした。
見る見るうちに晴れ上がる右小指。
そのころ整形外科に勤めていた私は、咄嗟に小指を曲げてみた。
怪我をした途端に強烈な痛みが来る時は、骨折の可能性が考えられる……というのを、聞いていたからだ。(捻挫の場合は、後からジワジワと痛くなってくる)
痛い!!もの凄く痛い!
でも曲がる。
ということは骨は折れてはいない。突き指もしていない。
これは単なる打撲だろう。
痛みを押さえながら、声をかけてくれた友人達と店の中に入り、おしぼりとドリンクの氷で指を冷やしながら、その日はなんと朝の5時まで店を変え場所を変えて楽しんだ。
指の痛み以外は、涙が出そうなほど幸せで楽しい一日となった。
…………これがいけなかったのかもしれない。

次の日。職場である整形外科に出勤した際、一応病院の先生に簡単に小指の状態を見て貰った。
打撲だろうと言うことではあった。
が、かなり重度の打撲だったらしい。
湿布を出してもらったのは良かったのだが……仕事に差し障りがあったので、日中はほとんど張らなかった。
…………これもいけなかったのだろう、きっと。

痛みは何時までも引くことはなく、東京での仕事を終え、仙台に引っ越してからも続いた。
仙台で就職が決まったときも、まだ指を曲げると鈍い痛みが走った。

結局痛みが完全に引いたのは。
なんと2年後の事だった。
長い……長い治癒期間だった……。

結論
1.日頃から受け身の練習はしておこう。
2.治療は出来るだけ早く行おう。
3.お医者さんの指示(治療法・投薬回数)はきちんと守ろう。
 
 
皆様もくれぐれも怪我にはお気をつけくださいませ。
いや、本当に。
 
 
 
 

ちなみに、未だに右の小指は微妙に曲がっている。

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