懐かしい友達との再会のような気分。
2001年7月25日 読書学生時代に本屋で出会った一冊の本。
『超芸術トマソン』
これは未だに私に多大なる影響力を与えております。
昨日フリスク君(お気に入り参照)から教えてもらったサイトを起点に、いろいろなサイトをフラフラと彷徨っていたら、そのトマソンのリンクサイトを発見しました。
嬉しかったなあ……一時期は結構トマソンやらその母胎である「路上観察」やらが世間で話題に上がっていた時期があったのですが、最近はとんと聞かなくなってしまっておりました(少なくとも、私の周辺では。なんて狭い世間なんだ、私)。
だから、こうやって今でもトマソン収集を続けている人達がいて、情報を発信しているということを知ることが出来て、本当に嬉しかったです。
話の順序は変わってしまいましたが……
まずそもそも「トマソン」とは何ぞや?
建造物などの「有用」な物体が
1.使われなくなる
2.一部が取り壊される
3.新たな付加物が加わり使えなくなる
などの経緯で「無用の長物」に変わった後、その「無用の長物」が妙な雰囲気やたたずまいを醸し出す場合、それを「トマソン」と呼ぶ。
……という定義を提出しておきたいと思います。
例えば
『2階に至る階段だけが取り壊されてしまったせいで、使用目的を奪われてぽつんと佇んでいる2階の入り口ドア』
とか
『使わなくなった窓を塗り込めてしまったせいで、何もない壁を雨風から守っている庇』
とか
『建物が壊されてしまったのになぜか階段だけが取り残されてしまい、昇降はできるがその行為になんの意味もなくなってしまった階段』
などが「トマソン」と呼ばれます。
それぞれのタイプにおいてさらにジャンル分けがなされていて、先ほどの例をとりますと、上から順に『高所ドア』『庇』『純粋階段』などと呼ばれています。
……と言葉で説明したところで、この概念のおもしろさは1万分の1も伝わりませんな(泣)
興味を持たれた方は、是非こちらのサイトをご覧になることをオススメします。
リンク
「面白い事とは脳味噌が困っている状態である」
という名言があります。
例えば……一卵性双生児の方がが二人並んでいるのをみると、二人が同じ顔である理由が理性的には分かっていても、何故か不思議な感じがする。それは普段の生活において「同じ顔の人が同時に存在することがない」という考えがどこかにあるからで、その考えが裏切られて脳味噌が情報を処理するのにもたついて困っている状態―これが「面白い」ということだ……という考え方ですね。
トマソンというのはこれに近いんじゃないかと思うわけですよ。
たまには生活に不必要な部分の脳味噌をあたふたさせるのも、よいのではないでしょうか?
『超芸術トマソン』
これは未だに私に多大なる影響力を与えております。
昨日フリスク君(お気に入り参照)から教えてもらったサイトを起点に、いろいろなサイトをフラフラと彷徨っていたら、そのトマソンのリンクサイトを発見しました。
嬉しかったなあ……一時期は結構トマソンやらその母胎である「路上観察」やらが世間で話題に上がっていた時期があったのですが、最近はとんと聞かなくなってしまっておりました(少なくとも、私の周辺では。なんて狭い世間なんだ、私)。
だから、こうやって今でもトマソン収集を続けている人達がいて、情報を発信しているということを知ることが出来て、本当に嬉しかったです。
話の順序は変わってしまいましたが……
まずそもそも「トマソン」とは何ぞや?
建造物などの「有用」な物体が
1.使われなくなる
2.一部が取り壊される
3.新たな付加物が加わり使えなくなる
などの経緯で「無用の長物」に変わった後、その「無用の長物」が妙な雰囲気やたたずまいを醸し出す場合、それを「トマソン」と呼ぶ。
……という定義を提出しておきたいと思います。
例えば
『2階に至る階段だけが取り壊されてしまったせいで、使用目的を奪われてぽつんと佇んでいる2階の入り口ドア』
とか
『使わなくなった窓を塗り込めてしまったせいで、何もない壁を雨風から守っている庇』
とか
『建物が壊されてしまったのになぜか階段だけが取り残されてしまい、昇降はできるがその行為になんの意味もなくなってしまった階段』
などが「トマソン」と呼ばれます。
それぞれのタイプにおいてさらにジャンル分けがなされていて、先ほどの例をとりますと、上から順に『高所ドア』『庇』『純粋階段』などと呼ばれています。
……と言葉で説明したところで、この概念のおもしろさは1万分の1も伝わりませんな(泣)
興味を持たれた方は、是非こちらのサイトをご覧になることをオススメします。
リンク
「面白い事とは脳味噌が困っている状態である」
という名言があります。
例えば……一卵性双生児の方がが二人並んでいるのをみると、二人が同じ顔である理由が理性的には分かっていても、何故か不思議な感じがする。それは普段の生活において「同じ顔の人が同時に存在することがない」という考えがどこかにあるからで、その考えが裏切られて脳味噌が情報を処理するのにもたついて困っている状態―これが「面白い」ということだ……という考え方ですね。
トマソンというのはこれに近いんじゃないかと思うわけですよ。
たまには生活に不必要な部分の脳味噌をあたふたさせるのも、よいのではないでしょうか?
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