昨日の97年F1総集編に引き続き、今日はアイルトン・セナの追悼番組のビデオを見る。

私がF1好きになったのは、(ミーハーかもしれませんが)セナを知ってからです。ジル・ヴィルヌーヴやニキ・ラウダの活躍の時代は私も知りません。(私の父が、HONDAの第1期からのF1ファンだったので、かすかに名前を聞いた記憶などはありますが)
最初にセナを見たのは、中島悟さんと一緒にロータスで走っていたころです。
まだまだF1は(今よりも)マイナーなスポーツで、カーレースと言えば「ツーリングカー」や「パリダカラリー」というような言葉が返ってくるような時代でした。
深夜、テレビにの張り付いて、音も画像も悪い録画中継を、食い入るように眺めました。
そのうち、セナとプロストがマクラーレン・ホンダでドライブするようになって、少しずつF1人気も上がり、とうとう鈴鹿GPが夜9時の時間帯にオンエアされるようになり、ようやくF1も市民権を得たかな……などと嬉しくなりました。

しかし、91年の本田宗一郎氏の死去、92年のホンダのF1撤退と続いた不幸なニュースが、日本のF1ファンの喜びをかき消しました。93年シーズンを最後に、セナと共にマクラーレンホンダ黄金期を築いたアラン・プロストも引退をしました。
そして94年。日本のF1ファンが、自国のドライバーであるかのように愛したアイルトン・セナがウイリアムズルノーへ移籍。
その年日本では2回GPが開催されました。
そのうちの1回、岡山のT1サーキットでのレース、スター直後の第一コーナーでのコースアウトで終わってしまったレースが、セナの日本ラストランになるなどと、誰が想像し得たでしょう。

セナの3度のワールドチャンピオン獲得は、全て鈴鹿で決まりました。
鈴鹿はセナファンにとって特別な場所でした。
「岡山ではダメだったけど、鈴鹿ではきっといい成績を出してくれる、いや出して欲しい」
と期待して、日本を後にするセナの背中にそっとエールを送った94年。

イタリアはモンツァ、エンツォ・フェラーリ・サーキットで、彼は天に召されました。

その日の夕方、ニュースでセナの訃報に接した私は、それが信じられませんでした。深夜に放映されたイタリアGPの初めに映し出された司会者と解説者の方々の悲痛な表情を見ても、まだ信じられませんでした。

そして、事故の瞬間。
タンブレロコーナーにつっこんで行くマシンを無情にもはっきり映し出した、ミハエル・シューマッハの車積カメラ。
そのコーナーは奇しくも2日前のフリー走行の日、セナと同じブラジル出身のドライバー、バリチェッロがクラッシュを起こした場所でもありました。
これは録画映像で、もう起こってしまったことだということは分かっていても、セナはもう召されてしまったのだということが情報として分かっていても、それでもやりきれませんでした。

きっと、まだまだ走れる人だったと思います。
ほしがっていたウイリアムズのシートをようやく手にしたばかりでした。まだまだ優勝回数を重ねていける人だったと思います。(ワールドチャンピオンは無理だったかもしれませんが)

ようやくセナが居なくなってしまったのだという事を理解した後、私は青山のホンダ本社へ行きました。そこにはセナが90年にワールドチャンピオンになったとき乗っていた本物のマシンが展示してありました。周りにはたくさんの花が供えられていました。
私はじっとマシンを眺め、そっとマシンに触れ、側に飾ってあった本田宗一郎氏と握手を交わすセナの写真を見て、それからちょっとだけ泣きました。

94年のシーズンは、あまりにも辛くてF1を見ることができませんでした。普通に見られるようになったのは95年のシーズン半ばからです。

でも、今でも思い出します。
雨のレースの時。
モナコGPの時。
ブラジルGPの時。
鈴鹿GPの時。
サンマリノGPの時。
青山のHONDA本社の前を通るとき。

ワガママな所もあったと聞いていますし、自分のレースの邪魔をする相手には容赦ない攻撃をするタイプのレーサーだったと言うことも知っています。
それでも、未だにセナを思い出すときには、かならず私の記憶の中のセナは赤いレーシングスーツを纏い、手にヘルメットとレーシンググローブを持って、物思いに耽った、静かな姿で現れます。
そういうセナが、本当に大好きでした。

去年、2000年のシーズン中に、セナがらみでまた涙を流した事がありました。
一つはバリチェッロの初優勝。
セナと同郷の彼は、表彰台(ポディウム)に立った時、手にブラジルの国旗を持っていました。そして、聞こえてきたブラジル国歌。(ポディウムにブラジル国歌が響き渡ったのは、実に7年ぶりでした。)その時の勝利者インタビューで、バリチェッロがセナ事を語った時。
もう一つは、ミハイル・シューマッハが、セナの生涯成績と並ぶ41勝目を記録した日の、勝利者インタビューでの席、その事を聞かれたシューマッハが突然泣き出し、フォローを求められたミカ・ハッキネンまでももらい泣きしてしまったシーン。
どちらも、彼等がセナをどれだけ尊敬していたか、ひしひしと伝わってくる、とても素敵な場面でした。

今でも、私の周囲のF1好きの人からは
「今は●●が好きだけど、でもセナは別格」
という声をよく聞きます。
私も同じです。
今でも、セナは私のベストドライバーです。

長い話上にしんみりした話になってしまってすみません。
一度書いてみたいと思っていた話題だったのですが……書き出すと止まらないものですね(汗)

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