泣きました

2001年2月19日
旦那が先週のドラえもんスペシャルをビデオに録画していた。
内容は今までの傑作選と新しい映画の宣伝と……以前映画でやった、のび太のおばあちゃんお話。
でも、オープニングでおばあちゃんの顔を見た途端に涙がこぼれて、これ以上みられなくなってしまった。悲しさと後悔と懐かしさと感謝の入り交じった涙だった。
あまりにも素晴らしい作品なので、ここで内容を語ってしまうよりも、できれば作品そのものを見て欲しいのです。そして、この作品を見るといつも思いだす人がいます。それは私の叔母です。

私は既に5回、身内の不幸にあっていますが、その中でも1番私をかわいがってくれたという叔母の葬式は、私が2才の時だったので、まったく覚えていません。叔母と過ごした記憶すらも全くありません。なぜならば私が生まれたときには、叔母は重い病に侵されて、入院をしていたからです。
叔母は不思議な人で、叔母の言う通りに事業を行ったり、馬券を買ったりすると非常によく当たるという、直感に優れた人だったそうです。私が生まれる前も、妊娠中の私の母の顔がものすごくきつくなったので、親戚の誰もが生まれてくるのは男の子だと思っていた中、叔母だけは「絶対に女の子が生まれるから、女の子用の服を用意しておくのよ」と母に告げたそうです。
私が赤ちゃんのころ、雑誌の赤ちゃんモデルをしたことがありました。某ダイヤモンドメーカーの指輪の宣伝だったのですが、その中で私は男の子の役でした。グリーンのベビーウェアを着せられ、写真につけられたコピーのでは男の子の名前で呼ばれていました。けれども叔母は入院先でその雑誌を見て、一目で「うちの妹の娘だ!!」と気付き、看護婦さん達に誇らしげに「うちの姪なの」と見せてまわったそうです。まだ私の顔も見たことがなく、モデルをしたことも伝えていなかったのに。一時退院が許された時には、私の家の前まで車でやってきて両親に挨拶をし、私を一目見せようとする両親に向って、「こんな病気で衰えた身体をみせて、かわいい姪が怖がるといけないから」と、私の顔を見ないで帰っていたそうです。
叔母が亡くなった後も、不思議な事が起きました。2才を過ぎた私が、夜尿症になってしまい、両親がほとほと手を焼いていたとき、母の夢まくらに叔母が立ち、「この子がオネショをするのは、あんたがかまってやらないせいだ」と怒られたというのです。夢というのは、その人物の心の奥にある願望や後ろめたさが立ち現れるものなので、この夢も単なる偶然だ……とは思うのですが、私にしてみれば、叔母が天国から見守っていてくれるような、温かい気持ちにあるのです。

これらの話を聞いて以来、わたしは神頼みをしたいときには、神様や仏様ではなく、叔母にお願いをするようになりました。そうすると、心の中に強い一本の芯があるような気持ちになりました。いつでも私をささえていてくれる、心強い芯です。

のび太とおばあちゃんの話を見るたびに、こんな叔母のことを思いだし、そして、次は自分が誰かの芯にならなければ……と切実に思うのでした。
そんなことが自分にできるかどうか、わからないけれど。でも、少なくとも、そう思うことでいろいろな人に優しくなれたらいいな……今はそう願っています。

とりとめのない長い話でごめんなさい。
馬鹿みたいにボロボロ泣いてしまった自分に対して言い訳をしたかったのです、きっとね。
人に対して優しく出来ない、怠け者の自分に、喝を入れたかったんです。
あーもー、ほんとにごめんなさい。

コメント

お気に入り日記の更新

日記内を検索